飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 BURDEN OF PROOF 飯田誠司
男らしさの形は人それぞれ。しかし、強さを追い求めることこそ、その究極である。そんな背景を持つ男が、アクセサリーブランド「BURDEN OF PROOF(バーデンオブプルーフ)」代表の飯田誠司だ。元プロボクサーという経歴を持つ男の人生と、彼が生み出すアクセサリーの魅力に酒を片手に迫ってみます!
マイク・タイソンのキリストが付いた十字架の金ネックレスを見た時に、
「ああいうのを作りたい」と思ったんです。
ーー飯田さんは、子どもの頃はどんなファッションが好きだったんですか?
飯田 僕は浦安生まれの船橋育ちなんで、中学の時はただのヤンキーでした。アイパーで剃り込み入れて眉毛はない。ビーバップハイスクールみたいな感じで、おしゃれとは無縁だったんですよ(笑)。高校2年にジムに入った時もそんな感じで、会長から「お前眉毛どうしたんだよ」と言われてましたね。
ーー不良だったんですか?
飯田 ただの喧嘩自慢ですよ。イキがっていたというか、中学の時も負けたことなかったんです。とにかく素手で、卑怯なことはしない。やるときはタイマン。時代だったのか、そういう連中が周りにもいっぱいいたんです。大体学校終わったら船橋駅前に集まって、ちょっと練り歩いて(笑)。
ーーそこからボクサーになって、アメリカに行って、どうしてアクセサリー作りを始めたんですか?
飯田 高校を出てから、ボクシングをしながら美術系の専門学校に行っていたんです。両親から「お前は素質が無くて強くなれないから、手に職をつけとけ」って言われて。僕は体育と美術だけ常に「5」だったのもありました。それで曙橋にある東洋美術学校で、工業デザインを学んでいたんです。その中の一部にアクセサリーがあって、そこでやってみて面白かったのが、アクセサリー作りのきっかけですね。あと、マイク・タイソンのキリストが付いた十字架の金ネックレスを見た時に、「ああいうのを作りたい」と思ったんです。それでアメリカから帰国後に、改めて彫金の専門学校に行っきました。通いながらアメ横でアクセサリーの販売もやって。その後に、ある製造販売会社に転職したんですが、こちらから「自分のブランドをやらせてくれ」と条件を出したんです。そこで生まれたのが「バーデンオブプルーフ」です。1997年で、26歳の時。1973年に王者のウィルフレド・ゴメスと全勝の挑戦者の試合があって、その時に使われていた見出しから名付けました。立証責任という意味なんです。1997年頃って、日本人が作ったアクセサリーなんて売れないと言われていたんです。海外の輸入ものばかりが売れる。だからこそ逆に、売れているのを証明してやるという意味合いもあって選びました。
ーー当時からスカルは作っていたんですか?
飯田 いえ、やってなかったです。「クレイジーピッグ」とか流行っていましたが、当時はスカルは品のないものだと思ってたんです。だから十字架とかがメインでした。決めていたことといえば、ネイティブには絶対に手を出さないということ。ロスの「VOICE」の倉庫1Fで、ゴローズファミリーの『ウイングロック』リキさんが作業されていたんですが、アメリカで生活しながらインディアンネームをもらって、インディアンとして生活していたんです。そういう方が作っているのがネイティブジュエリーだし、インディアンネームもない奴が手を出しちゃいけないなと思ってたんです。
ーーその後、ブランドとともに1999年に独立されたたんですよね。
飯田 僕は器用じゃないし、ただ好きでやってただけだから、正直落ち目もありましたよ。15年前は特にひどかった。ネットでの販売も今ほどない時代だし、売り先が無くなりかけて止めようと思ったこともあります。そこで気づいたんですが、“自分のため”というのを考えて物を作っていなかったなと。取引先や人から「こういうのがあったら売れる」と言われたら、似たようなものを作ったりしていた。誰かのために作っていたというか。でも、“人のため(為)”って言うと聞こえはいいけど、漢字で書いたら“偽”じゃないですか。そこから、限界ギリギリまでやったものじゃないと100年後には残せないって、意識が変わったんです。100回挑戦してみないと成功できないとしても、逆に100回挑戦すれば成功するのがわかっているなら、それをやりきる。効率よく仕事をした方がお金にはなるかもしれないけど、逆にそれをやり始めたら楽しくなってきたんです。それを教えてくれたのは、鬼アニキ。
ーー鬼塚さんとはコラボをしたこともあるんですよね。
飯田 スカルを作り始めたのはブランドが10周年の頃なんですが、鬼アニキにコラボをお願いしたのがきっかけだったんです。その時に出されたお題が、ドクロにグローブをぶら下げたネックレス。テーマは「死ぬまで闘い」。それで、ドクロのまぶたを腫らしたりして作ったんです。それからハマり始めましたね。ちょうど10年前に、「マジカルデザイン」の内山英雄さんとのお付き合いもできて、いろいろ教えていただきました。本物の頭蓋骨を見せてもらったり。そのアドバイスで劇的に変わっていきましたね。本物の頭蓋骨って、やっぱり違う。国籍によって形も顔も違う。面白い話があるんですが、僕の親父は五年前に亡くなったんですけど、冗談半分で「俺が死んだ時に頭蓋骨を出してやる」と言われてたんです。それで実際に亡くなった時に火葬場で焼き上がったのを見たら、親父の頭蓋骨が逆さまになってきちんと残ってたんですよ。「あ、約束守ったな」と(笑)。すぐに写真撮って、これからスカルを作るときは親父のをイメージしようと思いました。
マイク・タイソンのキリストが付いた十字架の金ネックレスを見た時に、
「ああいうのを作りたい」と思ったんです。
ーーアイテムを作る時にテーマにしていることはありますか?
飯田 御守りとしてのアクセサリーです。僕自身はキリスト教徒でもないし、マイク・タイソンが身に着けていたからクロスに憧れただけ。でも、キリスト教徒でもないのに、そういうモチーフを作っちゃダメというのはないと思うんです。自分の中ではいろいろと、矛盾があるんですけどね。
ーー今はどれくらいのスパンで新作を出しているんですか?
飯田 今までは二、三ヶ月に一回出していたけど、去年の年末くらいから意識が完全に変わったので、100年残ると思えるものじゃないと、これからは出さないと思う。継続品番も無くなる可能性があります。自信が持てるものじゃないと。何とかはない。これを作ろうと思った時に取り掛かっている時が楽しい。気が乗らないのに作るのはやめようと。去年までは競争とかなじゃいですが、慌てて作るとかもあった。でも、買ってくれた人にしたら、商品と一期一会。そこまで責任が持てないものは出しちゃいけないなって。他のブランドも気にしないようにしている。
自己満足していたい。自分のプライドのためだけにしようと。それが人に受け入れてもらえたり、何かの支えになれるなら、それがやりたいこと。みんなから全否定されるなら、やりたいことをやりながら野垂死にしてもいい。
ーー100年残るもの、って身に着ける人も気が引き締まりそうですね。ちなみに、これからどんなアイテムを予定していますか?
飯田 2020年10月に、「マジカルデザイン」の内山さんとのコラボレーションを出します。全部デザインは内山さん。バーデンオブプルーフでは生み出せないデザインを内山さんにお願いして、ワックスの時から何度も細かくチェックして頂きました。内山さんと知り合い、色々と教え頂ける様になって10年、今回のコラボであの「マジカルデザイン」の名前を貸して頂く訳なので、やり切らないと失礼になるんです。
飯田誠司
1971年4月9日・千葉県出身
高校を卒業したのち、プロボクサーとしてデビュー。引退後はアメリカ滞在を経て彫金の道へと転向。1999年にアクセサリーブランド「BURDEN OF PROOF」を立ち上げる。スカルやクロスなどを生かしたシルバーアクセサリーだけでなく、お猪口やたこ焼きの串をシルバーで作るなど、独特のクリエイションが人気を集めている。
BURDEN OF PROOF
bofp.cart.fc2.com
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*対談場所
忠さん劇場 くいしん坊
東急池上線・荏原中延駅のすぐ脇にある名物居酒屋。飯田氏が兄貴と仰ぐ元ボクシング世界王者・鬼塚勝也氏の同級生であり、ボクシングジムでトレーナーも務める小口忠寛氏が手がける酒場料理が絶品。名物の山賊焼きなど、男らしい豪快な料理がおすすめだ。
東京都品川区中延2-8-14
TEL:03-6426-2525